09 ◆ お祭りについて    
 お祭りとは何かと質問されれば、誰しも「神主が祝詞をあげ、神社の御輿を担いで祝うことだろう。」と答える。しかし道ひらきの学問では誰も説かなかったお祭りの本来の意味を説き、太古よりの我が国の言葉の深さを改めて説いて行きます。ではお祭りについて日立道根彦先生の講義のメモを御紹介致しましょう。
  
『お祭りには顕祭(けんさい)幽祭(ゆうさい)の二つがあります。顕祭(けんさい)とは神霊が神主に神依り致しまして、神示(ふとまに)を下しまして、幽、現の意志交通の神事であり、幽祭(ゆうさい)とは神霊がお隠れのままなる神事であります。
顕祭(けんさい)ではお祭りの斎場には神霊のご降臨がありまして、人々の真心を嘉し給うのであります。そのご神体は私たちの二倍三倍以上もある大きな幽体でエーテル体のようなものです。当然普通の肉眼では見えません。見えませんけれども空間に潜在する生命体なのです。ですから霊眼の開けた国津神とも言うべき人格者でなければそのお姿を拝する事は出来ません。
顕祭(けんさい)では神霊の意志を感受する無線電話の受話器となる神主が神殿に正座致します。このとき神主が天皇陛下の場合は特に「高産霊座(たかむすひのくら)」と申します。天皇陛下以外の場合を霊代(たましろ)とか霊芽座(ひめくら)といいます。
その霊代として神のお言葉を聞く職務司を審神者(さにわ)と申します。この役は最高人格者がが当たり、天皇陛下が(たか)産霊(むすひ)(のくら)につかれます時は現代で申せば総理大臣がその任にあたります。神武天皇のときは神ながらの道を熟知された長尾道臣命が当たられました。お祭りの式は迎神の法によりまして神霊よりの意志は、霊代を通して御宣言となります。霊代が入神状態に入りますと神依りする神霊の個性によって、態度も容貌も声根もかわります。ですから例えば女性であっても軍神の神依りがありますと、堂々たるわれ鐘の如き声になります。この如き状態になることを、最新科学の心霊主義(スピリチュアリズム)では霊示とか入神講話とか霊言とか申します。またこのような高級神霊の教えをフトマニと称します。
この事は古事記や日本書紀にありますように仏教渡来以前の日本では、神霊の御宣言をお伺いしその時代その時の政治を行っていたのであります。これが真のまつりあいであり『祭り』の深意である。
このような祭式をもって神霊の意志を知り、お守り御導きを受けるのを顕祭といいます。この神霊と現人の心を待ち合わせる祭式は日本太古よりの祖伝であります。悪僧道鏡の野望をしりぞけた宇佐八幡の御神託や、神功皇后の日本混乱の元凶を打つ御神託もこの顕祭によって神意を伺っての結果ですから、事はスムーズに運んで国家はいや増して発展したのです。』
 以上が日立道根彦先生の講義内容ですが、日本には高度の道すなわち神ながらの道があった事が解っていただけたかと思います。
純正な神の道のままなる神霊は三千年以上前で天津真法(あまつまのり)を知っていますから、二千年前後の仏教やユダヤ教等々の教義を頑なに信じている人には波長を合わすことは出来ません。ましてや最近の宗教教団や唯物史観などは妨げとなる先入観ですから祓わなくてはなりません。ですから神がかりには動物霊依りがあります。これを神どもがかりといいます。
(注)この識別法取得は道ひらきの書籍で厳法として修める重要事として至るところに解説があります。焦らず自分の考えと違うといって放棄せずじっくり研究してください。 
   参考図書  神之道初学
         鎮魂入門・霊素発輝
 
   


     道ひらき出版    
      

     図書注文